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未熟だった指導

  • 09095244321
  • 1 日前
  • 読了時間: 2分

 スキー学校においてインストラクターとして基礎スキーの指導を始めて間もないころのことでです。スキー学校ではそれまで大人の講習者にスキーを教えることが多かったのですが、その日は小学生の低学年の子供たちにスキーを教える日でした。生徒の数は凡そ15人くらい。男女半々くらいの割合でした。

 その日は特に元気のよい子達が多く、滑っているときも、ゲレンデの中間で止まって滑り方の説明をしているときも常に2~3人の子供は隣にいる子供たちとおしゃべりをしており、時には隣の子とじゃれあってこちらのの話を全く聞いていないときもありました。最初のうちは子供たちが元気であればよいと思っていたのですが、次第に行動がにエスカレートして、その場を離れることもありました。そのうちに他の子供たちのグループレッスンに支障をきたすようになってきたと感じこのままだとレッスンが続けられないと思い、「君たちスキーのレッスンを受けたくなければ、もう、帰っていいよ」と言ったのです。そうしたら騒いでいた子供たちはポカンと口を開けて多少困ったようにこちら見るのです。そのときでした、大人しくレッスンを受けていた2~3人の女の子が、「私たちも帰っていいですか?」と聞いてきたのです。まさか、大人しくまじめにレッスンを受けていた子がそのようなことを言うとは思っていなかったので自分はびっくりしてしまいました。

 スキー学校の有料のレッスンですから、多分講習料を親が払い、送り迎えして来ている筈なのです。そのように言った女の子は、親にスキーを習いにいきなさいと言われて渋々参加しているのでしょう。しかし、この女の子の言葉を聞いて自分は負けた、スキーの指導者として失格だと思ったのでした。

 スキーの指導は安全に技術を教えることを目的としています。しかし、それ以上に、特に子供たちには楽しく、スキーの魅力を伝えることを目的としています。一日のレッスンが終わり、子供たちが帰り際に「先生、楽しかった」「また、明日も滑りたい」と言って帰ってくれなけらば指導する意味がないのです。

 スポーツに限らず文化・芸能活動においても同様であると思います。技術を指導することは楽しく自己表現をするうえで大切な要素ことではありますが、それ以上に好きになること、自己肯定感を感じ自信を持たせることが目的なのです。指導するということはこれらのことを十分理解して行うことが大切であることを身に染みて感じた日でした。

 さて、その後僕はどのようにレッスンを再開し続けたか・・・


 
 
 

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